ベッラ島・ペスカトーリ島(マジョーレ湖に浮かぶ)


湖上からのベッラ島

宮殿から見た庭園


劇  場

ペスカトーリ島
  オルタ中心地(オルタ湖)


サン・ジュリオ修道院

市街の道

市街の道

市街の通り
  サクロ・モンテ(世界遺産2003年登録)

巡礼入り口


礼拝堂のひとつ

フレスコ画

テラコッタの彫刻

 ベッラ島・ボッロメオ宮殿ペスカトーリ島

 ベッラ島はマジョーレ湖に浮かぶ島で、ストレーザからボートで数分程度のところにあり、法王と国王をだしたボッロメオ家の宮殿と庭園で占められている。

 宮殿内に入り最初に目についたのは、壁にかかったボッロメオ家の紋章だ。案内されたはじめの部屋はダイニングルーム、家具はフィレンチェから、シャンデリアはベネチアングラスでできているとの説明。

 次の間は宮殿内からマジョーレ湖や庭園などの眺めを楽しむ部屋で、ドーム状の大きな空間が広がっている。2階のバルコニーにオーケストラが入り音楽を演奏するそうな。中央には宮殿の大きな模型が置かれていた。

 1935年ストレーザ会議(ドイツの侵入を阻止した)が行われた部屋は、トルコ石などでできた宮殿内で一番高価な家具が使用されているとか。会議出席者はムッソリーニ(伊)、ラバール(仏)、マクドナルド(英)などとのこと。

 次は1797年ナポレオンが3泊4日した部屋だ。ベッドはナポレオン皇帝とジョセフィーヌが使用した当時のままと。床はイタリア大理石が敷かれていた。

 次はギリシャ神話の絵画やその他の絵画、モザイクのテーブルなどが飾られた部屋だ。

 舞踏の間では1983年イギリスのチャールズ皇太子とダイアナ妃がダンスを踊ったそうな。スタッコを使用し音響効果が好いとのこと。

 グロッタ(グロテスクな洞窟)はイタリア大理石と貝で造られた部屋だ。大理石は白はマジョーレ、ピンクはベローナ、黒石はナポリのベスビオから運んだとか。

 タペストリーの間には大きなフラマンドルのタペストリーが飾られていた。

 宮殿内部はすばらしかったが、写真撮影は禁止だった。

 ベッラ島からペスカトーリ島に移動。狭い小路に漁師の家が連なり、魚網が軒先に干してある。湖畔にでるとこざっぱりとしたレストランが数軒。湖上に張り出したテラスで食事をしているカップルが。その場の雰囲気にマッチして、こちらまで幸せな気分になった。


 オルタ中心地

 オルタ中心の広場から見える対岸の島は、サン・ジュリオ島だ。4世紀に聖ジュリオが建立し、12世紀に再建されたバジリカ・ディ・サン・ジュリオが見える。

 ベッラ島は有力貴族がつくり上げた宮殿だが、オルタは市民がつくった街だそうな。

 道は馬車が通れる幅の小路で縦横に通じている。古い建物の間から僅かに射しこんだ陽射しが石畳に反映する。何ともいえない風情で趣きがある。当日水曜日は中央広場で市場がたっていたが、午後の3時前、そろそろ店仕舞いを始めたところだった。


 サクロ・モンテ(世界遺産)

 オルタ湖を見下ろす小高い山の上、緑濃い森の中に礼拝堂があり、中にはフレスコ画の宗教画や人物の彫刻が収められていた。

 サクロ・モンテは16〜17世紀に北イタリア中心にひろがったキリスト教信仰の一派だとのこと。

 ここは聖フランチェスコにささげられたもので、20の礼拝堂の中は絵画か彫刻で、彼の生涯が語られている。巡礼の順序と道筋は壁に書かれた手指で示されている。

 現地ガイドに案内され説明を受けた礼拝堂

 1 誕生
 2 サンダミアーノで受けた告知で更地に教会を造ることに
 3 アッシジの戦いの後牢に入れられる。父の全財産を全て神にささ   げ、教会をつくることを表明
 4 若い時代にミサを受けている
 5 説教しているが、貧富の差別をしていないことを表現した場面
 7 宗派を認めるようローマ法王にお願いしているところ
 9 アッシジの有力貴族出身の女性サンタ・クララが女性専用の修道   院をつくることを表明している様子
13 貧富の差なく聖フランチェスコの説教を聴いている場面 


 オルタ市街からサクロ・モンテへ行くには坂道を上るのだが、幸いミニトレインが運行されているので、往復ともそれに乗車した。

 現地ガイドのクラウディアさん 詳しい説明をありがとうございました。 

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