成田出発〜ヨセミテ入口


 5月26日 (成田出発〜航空機内) 曇り

 アメリカの大西部 グランドサークル Grand Circle をメインに、ヨセミテデスバレーロッキー山脈などの国立公園をレンタカーで周遊する海外ドライブ旅行の出発だ。昨秋母の入院で延期した 「アメリカ中西部の旅」 の再スタートだ。

 どのような景色に出会えるのだろうか。感動の一瞬をタイミングよく写真におさめられるだろうか。期待に胸躍る旅行が始まる。

 13:00 天気予報では雨となっていたが、幸い曇り空で降雨の心配はなさそう。そこで空港行きのバスはJR海浜幕張駅で待つことにした。海外旅行のときにいつも世話になる妻の友人Yさんに、海浜幕張駅まで車で送ってもらう。

 14:20 成田空港に到着。イラク戦争とSARSがいわれていたが、確かに空港はいつものような華やかさが感じられず、閑散としていた。到着後の搭乗手続きもわずかな時間で終了。海外旅行障害保険に加入した。

 15:10 搭乗まで少し時間があったので、航空会社のラウンジに入り妻と旅行スタートの乾杯。しばらく後目の前にタイ航空が到着、空港の係員らしき人が3名搭乗ゲートにあらわれて、乗客に話したり、なにかを手渡したりしている。これまでこのような光景をみたことがない。SARSのためだろうか。少し脅威を感じるなぁ。

 16:30 機内に搭乗、いつものことなのだが、席はほぼ最後尾にある窓側の2席並びを予約している。トイレに立つのに夫婦ふたりだと、夜中でも遠慮なく起こせるからだ。

 座席に着いて待つことしばし。出発時刻を過ぎたがドアは開いたままだ。機内に放送が流れる。私は機長と自己紹介の後、タイヤ不調のため、交換整備をすることになった、ついてはしばらく出発が遅れるとのアナウンスだ。

 17:30 やっと離陸、機内を見渡すとほぼ満席、空いた席はごく僅かだった。世界的に旅行者減少とのニュースとは様子がかなり違うので驚きだった。ただかなりの人は中国系のようで、マスクをしっかりとつけていた。

 搭乗時に通ったビジネスクラスは満席だったし、エコノミーにもスーツ姿が多い。観光姿の人は少なく、SARSの影響で遊びの人はあまりいないようだった。そういえば我々も友人から今ごろ出かけるのは勇気があるなぁと、ヘンな感心をされたものだ。

 飲み物のサービスが始まったので、旅行の前途祝福と熟睡するために、久しぶりにワインを飲んだ。すこしほろ酔い加減になったところで、19:30 夕食だ。和食しか残っていませんのですみませんといって配られたが、もともと和食を食べたいと考えていたので、ありがたかった。

 サンフランシスコ到着後レンタカーを運転する予定だから、食後直ちに就寝した。3時間ほど熟睡して、23:00 に目覚めた。しばらくすると左手の窓から日の出の太陽があがってきた。

 大きな画面にSKY MAPが映し出されていて、何気なく見ていたが、高度11,277m、対地速度1,068km、外気温ー52℃となっていた。

 午前1:00 (サンフランシスコ 午前9:00)に軽食がでた。飛行機は内陸に入った後南下、いくつかの橋が見えてきた。橋の上はラッシュの車でいっぱいだ。あの混雑した橋で運転をするのだと気を引き締めた。飛行機は右に旋回し、2:05(現地時間 10:05 サンフランシスコ国際空港に到着した。


  5月26日(サンフランシスコ到着〜ヨセミテ入口) 晴れ

 サンフランシスコ空港通関時に黄色い書類を受け取る。SARSの流行を予防のためだろう。入国後10日目までは必ず所持しておき、高熱など記載の症状がでたときは、記載の連絡先へ連絡することとなっていた。

 サンフランシスコ空港内で身づくろいを済ませ、やや多めの1,000ドルの両替をした。その後空港周辺を4分毎に回っているエアートレイン 
Air Train のブルーライン Blue Line に乗車。レンタカーセンター駅 Rental Car Center まで行き下車、ハーツの窓口を訪れた。

 メールで送信された予約書の外、ハーツから自宅に郵送してもらった Speedy Rental Form(支払方法、契約する保険の種類を記入する書類。詳細はこちら) やパスポート、運転免許証、国際運転免許証などを提示。運転は妻を含む2名と申告した。

 レンタカーは 
MERCURY で走行距離は 6,234マイルだった。

 今日はヨセミテ近くまで直行する予定なのだ。ここからヨセミテまでの道順を知ろうと窓口に設置されているパソコンに向かう。さまざまな方法で入力しても、ヨセミテに行く地図がでてこない。やむなく係員に頼んで操作してもらったが結果は同じだった。係の女性もパソコンに向かって少し悪態をついていたようだ。

 とりあえずカリフォルニア州の地図をもらい行き方をたずねたが、みな行ったことがなく知らないという。離れた窓口にいた女性がやってきて、地図の道路上に赤線を引き、このとおり走ればよいとの話だった。これ以上は無理だとあきらめて駐車場に向かった。

 約15分ほどかけて車の操作を確認、以前に比べるとかなり少ない時間で確認が終わるようになった。

 12:20 いよいよアメリカ中西部旅行のスタートだ。走行距離が長く、日数も17日間の運転だ。改めて慎重に、事故をしないよう注意しようと気持ちを引き締めた。

 駐車場の出口から、国道 I−101号の標識がある。標識に従ってしばらく走ると、I−101号のインターチェンジに着いた。アメリカ到着後間もないので、右側通行とこころの中で叫びながら進入、車の多さにとまどいながら、一番右の車線を60マイル(約100km)で走りはじめた。

 
San Mateo Bridge 州道92号とのジャンクションの標識をみつけて、さらに右の車線に移動、無事橋にのった。飛行機から見えたあの混雑した橋だ。ナビは妻にまかせて運転に集中する。

 橋を渡ってすぐIー880号に入る。 さらに I−238 から I−580、I−205、I-5 に入る。空港を出てから、いくつものジャンクションを経由している。すでにアメリカをレンタカーで走った経験があるから間違えなかったが、これが最初のレンタカー旅行だと大変だったなぁと、ほっとした。

 I−5に入ってすぐ ヨセミテ の標識がでてきた。ここから ヨセミテ の標識があるなら、それを頼りにできると、かなり安心できた。 途中から州道120号に入る。ここから ヨセミテ までは120号一本だ。

 途中の小高い丘の上はで風力発電だろうか、非常にたくさんの、ゆっくりと回転している風車があった。(帰国後知ったのだが、カリフォルニア州には3ヵ所の風力発電の場所がある。その1ヵ所がここで、強い一定の北風が吹くのだそうな。)

 14:00 
Escalon で長い長い列車の通過するのに遭遇して、踏み切りで停車した。時間をはかると7分間もかかっていた。列車通過後踏み切りを渡ったところでスーパーを発見、休憩と買い物をすることにした。

 今回の旅行ではデスバレーなど灼熱の地域を通過する。車内に置いておくフィルムの乳剤があまりの高熱で溶けないかと心配になった。そこで発砲スチロールの大きな箱は2個購入し、ひとつに食料、ひとつにフィルムをいれることにした。

 14:40 
ESCALON を出発、反対車線は車が大変に多い。ついに Oakdale では長い渋滞だ。道端には黄色や紫色の花があざやかに咲いていて、疲れを感じさせなかった。登り坂や急カーブがあり注意して運転を続ける。

 16:00 グローブランド 
Groveland に到着。ヨセミテの近くまで来ている。グローブランドに着いてからの2軒のモーテルは満室の表示だ。

 グローブランド のはずれのホテルに空室ありの表示を見つける。疲れたとの自覚はないが、初日で体がまだ慣れていないのだから無理をしないでおこう。地図をみるとこの先ヨセミテまでにモーテルがあるかどうかもわからない。今日はここに泊まろうと車を乗り入れた。

 早めにレストランで食事、今日のスープを注文、なんとでてきたのは味噌スープだった。中の具はマッシュルームとネギ、でカツオだしの薄めの味噌汁だった。何人かは説明を聞いて注文したが、ひとくち飲んだだけの人もいた。

 食後付近を散歩、21:30 に就寝した。

本日の走行距離 238km

おりおりの熟年生活(アメリカ中西部レンタカー旅行)