フェアバンクス(アラスカ大学博物館) 9月7日 天候 雨後曇り 1:50 オーロラ監視を家内と交代、部屋から空を見上げる。 3:00 オーロラは見えないのだが、隣の部屋の動きがあわただしい。家内を起こして表にでる。3:15ロッジ上の空の色が少し違う。オーロラだいや雲だと判断つかず。4:30 再度就寝。 8:40 起床。 妻と十分に満足のできるオーロラにまだ遭遇しないねと会話。ノーザンスカイロッジ宿泊は昨夜までで、今日はバルティーズに向かう予定なのだが。 パソコンでオーロラ予報と天気予報を見る。オーロラはこれまではモデレートだが2日後はストロングとなっている。天候もこれまではモストリークラウディだったが、クラウディになっている。 予報をみた妻からここで2泊延泊しないかとの提案。パスカルに訊くと予約表を見てからOKと。今夜と明日の夜もここに宿泊することに決定。パスカルがつくる夕食がGさん、Mさんに好評だが、私たちはまだ食していない。二晩の夕食もあわせてお願いした。 11:25 ロッジ発。雨にもかかわらず道路工事はいつものようにやっている。今日は給油せず、シェブロンを通過。 12:35 アラスカ大学フェアバンクス校に到着、アラスカ大学博物館 University of Alaska Museum へ。アラスカの自然、文化、歴史などが展示されている。 入場料 (5ドル、シニア割引 4.5ドル)を払い、日本語説明のイヤホーン(3ドル)を借りて館内に入る。 入り口に巨大なブラウンベアーの剥製。説明によると世界一大きな熊で、体重1,400ポンド、時速30マイル(約50km)だそうな。襲われたら逃げられないのも道理だなぁ。 氷河の中から発掘されたバイソンの剥製も。ライオンに襲われた爪跡がある。アラスカには蝶が80種、採取したのは8万匹、44種はツンドラ地帯で採取されたそうな。狼は以外に大きくセントバーナードほどもある。足は太くたくましい。 オーロラが3原色の装置で再現され、実際のスピードで変化していく様子が観察できる。1989年に出現した巨大オーロラはメキシコシティでも観察できたとか。 ネイティブの生活も展示されている。ウミアック Umiak という舟は流木のフレームとセイウチの皮でできていてスピードが出せる。しかも30人も乗せるられるそうだ。だからこの舟でセイウチやくじらを追うとのことだ。 アラスカとかかわりのある日本人コーナーもあった。小説にもなった フランク安田とか実業家のハリー河辺など数名の写真とか家族のことが紹介されていた。 第二次大戦中の日本人収容所がアラスカにもあったと詳しい説明。ローズバーグ日本人収容所で、1942年に出来て、アラスカ、ハワイ、アメリカ西海岸に住む日系人1,500名以上が収容されていたそうな。 14:30 博物館をでて、前の駐車場に。その下は美しい黄葉の森が広がり、少し離れてフェアバンクス空港が望める。この風景を見ながら簡単に昼食を済ませた。 アラスカ大学に沿った道 カレッジ・ロード College Road をとおり、15:15 野鳥センター クリーマーズ・フィールド Creamer's Field に行く。グースの群れが緑の草の上にたむろしている。よく見るとくちばしを土にさして何かをつまんでいるようだ。食事をしているのかな。 雨だし今日はこれで帰ることにしよう。道路工事の通行規制にかからなかったので16:45ロッジ近くに。前を黄色いスクールバスが走っている。後についているとバスはノーザンスカイロッジへの道に左折した。トニーが出迎えて待っていた。 パスカルが夕食を頼んだ二家族分として、大きなローストポーク運んできたので驚いた。こんなに巨大なものは食べきれないのではと。とりあえず切り分けて、一口食べたが実に美味い。Mさんはこれを残すのはもったいないと、少し時間をかけながらがんばって食べつくしてくれた。 日本人親娘のOさんが先ほど到着した。今夜は3組の宿泊だ。Oさんによると、今日デナリ国立公園はサベージリバーまでいったそうだが、雪が残っていたとの話だった。 22:00 就寝。天候は曇り。妻がオーロラを監視。23:50 星が見えると妻に起こされる。寒くはないので外でオーロラを待機することにした。 本日の走行距離 104km 累計走行距離 2,517km |