タシルンポ寺  
               
                           
               
               

 タシルンポ寺はチベット仏教ゲルク派の開祖ツォンカパの高弟ゲンドゥン・トゥプ(後のダライ・ラマ1世)により創建、1447年タルシンポ寺の僧院長がダライ・ラマ5世の時代パンチェン・ラマの地位を得た後 歴代パンチェン・ラマの政治・宗教の中心として繁栄し、最盛期は僧侶が約4,500人いた。

 1989年2月に逝去したパンチェン・ラマ10世(北京で全国人民代表大会副常務委員長・国会副議長に相当)の霊塔を中国が10億円かけて建立。現在は中国寄りで約1,000人ほどの僧侶がおり、チベットで最も活動が活発な寺院といわれている。

 パンチェン・ラマ10世は、1959年中国人民解放軍の侵攻によるチベット動乱でダライ・ラマ14世がインド亡命後もチベットに留まった。しかし1962年中国政府のチベット政策に対し「7万語の意見書」を提出し、北京で9年8ヵ月の投獄、その後14年間北京の自宅に軟禁された。

 1989年1月久々にシガツェに戻り、1月24日「チベットは過去30年間、発展・進歩よりも大きな代価を払った」と中国政府批判ともとれるスピーチを行い、その4日後 50歳で急逝した。

 現在のパンチェン・ラマ11世は中国が選んだギェンチェン・ノルブ。ダライ・ラマ14世が承認したパンチェン・ラマ11世のケンドゥン・チューキ・ニマ少年は認定発表の3日後中国政府により拉致され両親とともに行方不明になっている。

 中仏堂にはパンチェン・ラマ1世から3世と4世から9世までの霊塔があったけれども文化大革命時に1世から3世と4世の霊塔(1666年完成 金銀銅で装飾)を残して破壊された。後にパンチェン・ラマ10世は5世から9世までの合葬塔を建立している。

 弥勒仏殿の黄金色に輝く弥勒菩薩は1914年から18年にかけてパンチェン・ラマ9世によって制作された。高さ26.2m 使用された金属は、金279kg 銅23万kgとの説明。


撮影日 2019.5.21
撮影地 タシルンポ寺 チベット・シガツェ 

青海チベット鉄道とエベレスト眺望 ヒマラヤ山脈を越えて