帕 拉 荘 園(バツラしょうえん)  
               
                           
               
               

 ギャンツェはニャンチェ川がもたらした肥沃な土地で、多くの貴族が町の周辺に荘園を所有していた。

 この荘園の所有者は300年以上続いた王族の血を引く貴族だったが、1959年のチベット動乱時ダライ・ラマ14世とともインドに亡命した。

 この荘園は残された西チベット最大の貴族の館(ラサは開発で残っていない)で、建物や調度品(外国製や伝統的な品物)などが居住時のままの姿で残され、マネキンによって当時の日常生活の様子が再現されていた。

 貴族は15名 使用人は300名、畑などを耕す使用人たちの家は向かいにあった。

 1階では牛やヤクの家畜を飼い、2階は作業場で織物やどぶろくを作り、炊事をし、会議室(現在は展示室)もあった。 3階は貴族の住まいで、仏間、経堂(僧侶の寝室)、居間、夫人寝室(鞄や外国製の化粧品あり)、麻雀などゲームを楽しむ部屋、日光浴の部屋などがあった。

 2階には執事長の部屋があり、女性の召使が世話をする様子が再現されていた。
   

 なお、展示室には、ロレックスの時計、男性が片耳にだけつけるピアス、モンブランの万年筆、僧侶の頭蓋骨で作った器・足の骨で作った笛などが展示されていた。

撮影地 帕拉荘園(帆拉荘園) チベット
撮影日 2019.5.21

青海チベット鉄道とエベレスト眺望 ヒマラヤ山脈を越えて