マンザナール 日系人強制収容所跡
             
                     
             
             

 マンザナール日系人強制収容所

 http://explorer.road.jp/us/ca/easternsierra/manzanar.shtml

 1941年の日米開戦当時、アメリカ国内には11万3千人の日系人が住んでいた。そのうち3分の2はアメリカで生まれ、生まれながらにしてアメリカ人(国籍)である2世、3世だった。

 1942年2月19日ルーズベルト大統領は大統領令No.9066を発令した。これは、陸軍に対して特定地域から日本人、日系人を強制的に排除する権限を与えるものであった。

 表向きの理由は、真珠湾攻撃に衝撃を受けた軍部が日系人が手引きをして第2の奇襲があることを恐れたとされているが、同じ敵性国のドイツ系やイタリア系移民にはこのような隔離政策は行なわれず、日系移民だけをターゲットにしたこの政策は人種的偏見をその背景としていた。

 いずれにせよ、この大統領令によって、第二次世界大戦中アメリカの日系人はその国籍を問わず強制収容所へ送られた。


 収容所跡はシェラネバダ山脈の麓、モハーベ砂漠の中にあった。訪れた時期は穏やかで美しい季節だったが、砂漠地帯なので夏の暑さ、冬の寒さは厳しかったのではなかろうか。

 取り壊された収容所の小屋が再現されていたが、粗末な造りでベッドは所狭く並べられ
ていた。机などの生活用品や子どものおもちゃなどが手作りされており、当時の品物が展示されていた。

 家族ごとにナンバーがふられるなど当初の管理や待遇は悪く、暴動で2名が射殺されたそうな。その後は改善され散策や趣味も許可され、当時発行された新聞も掲示されていた。

 財産も没収されたため、戦後帰る家がなく多くの人はそのまま収容所に残ったとのことだ。

撮影日 2013.4.6 

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