御 嶽 山  水 蒸 気 噴 火・噴 煙  
               
                           
               
               

 御嶽山で2014.9.27(土曜日)午前11時52分に水蒸気噴火が発生した。

 27日 私は白樺峠でタカの渡りを観察していた。12時過ぎ、御岳山中腹開田高原の山小屋にいる家内から電話。御嶽山が噴火したとテレビが報道している。降灰と屋根からバラバラという音がするから小石が落ちているようだと。直ぐに撤収、山小屋に向かった。

 開田高原に戻り御嶽山方向を見るが、雲がかかっていて噴火の様子は分からない。しかし山小屋に近づくにつれて道路に薄っすらと灰が積もり、車のタイヤ跡が延びている。

 山小屋に着く。屋根や樹木に1〜2mmほどの灰が乗っている。1979年の噴火と同じようなところからの噴火とのこと。それなら万一火砕流や溶岩流が発生しても剣ヶ峰山頂の南西に流れ、尾根を越えて剣ヶ峰山頂の東に広がっている開田高原には流れてこないだろう。避難など緊急性は無さそうだと、山小屋や道路に積もった灰の写真を数枚撮る。

 28日(日曜日)早朝九蔵峠に向かう。この時点では後に明らかになるような大惨事が発生しているとは知らなかった。

 峠に向かう途中、御嶽山が望め駐車できる場所には沢山の車が止まりカメラを構えた人がいる。峠に着くと20数台の車。御嶽山に向けて三脚がいくつも立っている。姫路や横浜ナンバーの車もある。夜中に走ってきたと。

 薄明かりの中、蒸気が立ち上る。夜明け前のブルーの空に白く高く伸びていく。陽が射してきて水蒸気に当り、僅かに光る。

 今日は写真を趣味にしている3名で富山県八尾町の「月見のおわら」を鑑賞予定。夕方までに到着すればOKだ。そこで御嶽山の水蒸気噴火の様子を噴火口のある岐阜県側から記録しようと回り道することにした。

 朝食後、チャオ御岳リゾートから濁河温泉、大平台展望台など狭い林道を経由して鈴蘭高原へ。岐阜県側から水蒸気噴火を観察した。いつもは車が通らない林道だが、今日はしばしば対向車や駐車中の車に出会った。しかも遠方のナンバーも多い。それらの車は夜走ってきたと話していた。

 長野県側からは噴火位置が尾根の向こうになるけれども、噴火口は岐阜県側にあるので、時々水蒸気を吹き上げる瞬間の迫力は強烈だ。噴煙は多くがグレー。時々白い塊りがのぼる。水蒸気が谷間を流れ落ちる様子も見える(上段右の写真)

 鈴蘭高原は別荘地。多くの車と人で混雑している広場。正面に噴火の様子が見えるのだ。ここでは御嶽山を二重の雲が取り巻いており、その上に水蒸気が昇っていた。

 夕刻富山市八尾町の宿に到着。部屋でテレビをつけて御嶽山噴火による大惨事を知る。1979年の大噴火では、山小屋への降灰は大量だったが死傷者はなかった。このたびは山小屋への降灰は僅かだったので、大惨事となっているのを知って、大変な驚きだった。

 29日 八尾から開田高原に戻る。夕刻九蔵峠に行く。夕陽が噴煙をオレンジ色に染め上げていく。噴煙はまだ勢いがあり衰えをみせていない。遭難者の救助活動に支障がでている。

 噴煙は山の左から上がり南(左)になびいている。右の斜面8合目は紅葉が帯のように見える。この爆発がなければ、トレッキング予定の人は美しい風景を楽しめたことだろう。

 日暮れて直ぐ、また九蔵峠へ。水蒸気が南へ流れている。噴火は治まってきたのだろうか。天の川が御嶽山にかかっている。車が2台、八王子と横浜ナンバー。今夜はここで夜明かしですと話をしていた。

 30日 木曽馬の里の朝。水蒸気は南にたなびいているが、一見穏やかな風景。この山の山頂で、大勢の人が亡くなったとは信じられない。

 掲載の写真は御嶽山噴火を現場近くの山の中腹から見た記録映像といえると思っていいます。

 痛ましい犠牲を生んだこの自然災害を恨むとともに、お亡くなりになられた方々に哀悼の意を捧げ、ご冥福をお祈りいたします。


 追 伸

 私の山小屋は御嶽山の山頂から6km、開田高原保健休養地内に所在し、高度は1,500mの中腹にある。降灰は27日に僅かにあったが、ライフラインには全く影響はなく、日常生活は従来と変わらない。道路は28日に清掃され、車が走っても灰は舞い上がらなくなった。

 開田高原の中心部や観光客の多い木曽馬の里などは、山頂から10数km離れ、高度は1,000〜1,200m、噴火による降灰は極く僅かで、樹木には積もっていない。

 紅葉観賞や観光、日常生活への影響は全くない。保健休養地内にある御嶽明神温泉やまゆり荘始め、宿泊施設もレストランやカフェなども平常通り営業している。


撮影日 2014.9.28〜9.30
撮影地 長野県 岐阜県

おりおりの熟年生活(開田春秋)